言葉を丁寧に紡ぐということ。「伝わる」表現をするということ。
丁寧に、必要な言葉を伝える人になりたい、と思うできごとが2つ、ありました。
あと、伝える手段として、「伝わる」写真が撮れるように学んでみたいな、と。
そう思ったきっかけのできごと1つめ。
この方のブログ。(途中、狩猟の写真など出てきます。)
一言で言うと、ガンと宣告された34歳カメラマンの方の闘病ブログ……
ですが、上記の一言には収まらない内容が、ここにはありました。
丁寧にひとつひとつ、自分の気持ちを文字に起こしている。
この方が置かれている環境に色々思うところがある一方、
自分が普段使っているはずの言葉との重みの違いに軽くショックを受けました。
自分、ここまできちんと言葉を紡いでいるのだろうか…と。
単にダラダラ、長々と言葉を垂れ流していたのではないだろうか、と。
そして、この方の写真も美しい。
「伝わる」表現をされている写真だと思いました。
写真、見るのは好きでよく色々な展示など見に行っていたはずなのに…。
この方の写真を見ている時の自分の気持ちが、
あまりこれまでに感じたことが無いもので。胸に来る、というか…。
写真って、人をこういう気持ちにさせるんだ、と改めて。
こんな気持ちにさせることができる手段があるのならば、自分もやってみたいな、
とも。
2つめ。
ここ数日、美術工芸や芸術品や、旅先で気になった場所、味のある場所を
色々と見つけたのですが。
例えばiphoneで撮ってみようか、と思ってみても、自分の撮り方の下手さに失望。
現実の目で見る、それらの美しさが全然反映されなかった。
これは機材の問題とかそういった話ではありません。
でも、こんな素敵なもの、味があるもの、とても面白いから、自分の中でも
記録として残しておきたいし、誰かに伝えたいな…といったところ。
だから、
いままで「読む側」「見る側」だったことが多かったことについて
主体的になってみようかなと。
まずは言葉を丁寧に(ダラダラではなく)紡ぐことから意識します。
ちょうど近日、人の心の機微を丁寧に言葉を紡ぐことを生業としている方と
ゆっくりお話する機会があるので、色々伺ってみようかなと。ぜひ、お願いします。