からむし織の里、昭和村への郷愁について
訪れてみたい場所がまた一つ、できました。
きっかけはこのウェブマガジン。
http://motokurashi.com/fukushima-showamura-karamushi/20170927
ただただ最高級の糸を紡ぐために、糸の材料になる植物を育てる為の畑作りから手をかけるという…昔ながらのやりかたを続けている昭和村の方々。
一見愚直すぎる気もします。ここまで手をかける必要があるのかとか、もっと作業を効率化できるんじゃないか…とか。
でも、からむし織の工程については、そんな考えを持つことさえ無粋な様な。
この方たちは糸を紡ぐという行為を通して、
人間は自然と繋がっているという本質的なことを確かめているんじゃないか…とぼんやり考えました。
なんとなくこの記事を読んで、以前、久米島で拝見した久米島紬を織る方々のことを思い出しました。紬を織る行為を通して、久米島の自然と対話している様な方々。
からむし織にしても久米島紬にしても、どこかでこういった暮らしのスタンスに憧れを抱いている人は多いのだろうな…と思います。(実際、昭和村で毎年募集する、からむし織の研修生への応募は結構なものだそう。研修期間終了後も昭和村に定住する方も多いそうで)
惹かれるところはこの方々の
足るを知るという潔さに対してなのか、昔ながらの暮らしかたなのか、自然と繋がって生き続ける姿勢なのか…。とりあえずただただ…昭和村でのからむし織の工程と昭和村自体に、強烈な懐かしさを覚えました。