他人が羨ましくて足を引っ張りたくなるひとたち について
朝からちょっとイマイチな気分になりました。
SNSをなんとなく眺めていた時に、
ある女性CFOの方の投稿に目が留まりました。
”自分の知人(恐らく40~50代の女性)の両親が要介護となり、知人自身が妹から、「今までさんざん好きなこと(仕事)をやってきたんだから、こういう時くらい仕事を辞めて家族に尽くして!」と言われて切ない思いをしている。
自分も似た様な経験を沢山してきた。どんなに仕事に対して真剣に尽くしてきても、
”好きなこと”をやっていると一蹴されてしまう辛さ。そしてそれは仕事自体や仕事を取り巻く周囲に対しても失礼なことだ”
といった内容でした。(若干意訳入ってます)
ああ、女性特有だよなぁ…対ワーママに対しても良くあるよなぁ…と、
女性CFOの方の投稿についていたコメントを眺めていたところ、
一人の男性のコメントに気付きを頂きました。
”地方出身の自分から言わせてもらうと、自分も、東京に出て好きなこと(仕事)を
やっているのだから…と言われてしまう”と。
このコメントを見て、なんだかすとんと腑に落ちました。
”あぁ、自分が色々と我慢している人は、ちょっとでも自分より楽しそう(に見える)な他人がいたら、同じ様に我慢して!と強要したいものなのかなぁ…”と。
ポイントは”楽しそう(に見える)”ですね。相手の事情を一切斟酌しない。
自分が感じることだけがすべて。
あと、地方出身で東京で仕事が順調だ、とか、女性で大出世している、とか、
何か分かりやすい特性を持つ人は叩かれやすいなぁ…とも。
例えば冒頭の介護問題、一言で片づけられない問題だということはよくよく理解しているつもりです。
が、介護問題に関して本質的な課題を解決するには例えば、
まずは家族がいまのままの生活を続けた場合に起こる課題などを整理してから、選択をすればいい話ではないかなと。(課題の整理の結果、例えば前述の知人が仕事を辞める
必要があるならばそれは仕方ない)
でもそんな整理の前に、”仕事を辞めろ!”というのは、”自分だけ楽しい想いをするな!(羨ましい…)”という気持ちが透けて見える気も。
いやいや、”楽しそうなことばっかりやってる”と見える人たちだって、捨ててきたものは沢山ありますから。
貴方が普段のこととして捉えている色々な…些末な出来事を享受できる環境が羨ましくてたまらないことだってあるんですよ…と、言いたい。
とりあえず…人を羨みすぎるのであれば、そのエネルギーはどこかで昇華した方がいいかなと。
もし執拗に口を出して他人の足を引っ張るくらいのエネルギーがあるのであれば、それは他のところに活かせばもっと自分自身が気分良くなれるし、道がまた開けてくるんではないかなぁと思います。
それができないのは…なんでしょうね。いや、色々理由はあると思いますが。
自分で行動が変わるきっかけを探し続けるしかないんですかね。そのきっかけ作りは自分でやるしかない…。
知人にも時折そんな方がいました。
羨ましい羨ましいと言っている方。そして時々他人の足を引っ張ろうとする方。
みなさんそれぞれ本当は悪い方でなくて、環境がそうさせてしまう(気持ちが卑屈になってしまったり)んだろうなぁと感じてもいたので、自分ができる範囲できっかけ作りの場に誘ったり情報提供してみましたが、さて今はどなっているんでしょう…。少しでもその方たちの気持ちが前向きになっていますことを。