周囲への期待、について思うこと。
最近、周囲へ期待すること、について思うところがあったのでその件について書きます。
数年来の付き合いの友人の一人に
人からどんな迷惑をこうむってもどんな理不尽な言いがかりをつけられても激高せず、
淡々とスマートに、発生する問題に対処する人がいました。
あまりにも冷静でスマートで居続けるので
「なぜそこまで冷静でいられるの?」と聞いてみたことがあります。
彼から返ってきた答えは自分にとってはかなり意外で
「周囲に期待をしないから。」
(もっと聖人君主っぽい返答が返ってくると思っていました)
周囲に期待をしないから、がっかりしたり不満に思ったりすることがない。
だから、感情に余計な波が立たず、冷静でいられる、とのこと。
それを聞いた当初は”冷たいな…(というか寂しいな…)”
”彼は周囲と繋がることを遮断しているんだろうか…”と
ほんの少し、苦しく感じた覚えがあります。
懐広く見えていた彼の印象が変わりました。
(彼とは信頼できる付き合いが今もきちんと続いてます)
ですが、それから数年たって
当時、彼が言ったことは一理あるなと思っています。
そして自分も、当時の彼と似ているスタンスを取っています。
自分の場合は、「周囲に”過剰に”期待をしない」こと。
人に期待をかけることは、素敵なことだとも思います。
その人のポテンシャルや人間性を見込んで、
”あなたならできる”と信じることなので。
でも一方、勝手に、過剰に期待をかけてしまったり、
その人にとって不適切な期待だったりすると…。
自分の期待と違った結果を出した彼/彼女に対して、
落胆する→責める、(時に)期待していた分だけの見返りを求める…
といった構図をまま目にします。
落胆した時にそこで、”自分が相手にかけていた期待は、方向性が違っていたかもしれない。”と
自分を振り返れる人はごく僅か。
大抵は残念ながら、”勝手な期待”に答えられなかった人への他責になるような気が…。
勝手に期待をかけ、勝手に落胆し、相手を責める・見返りを求める…こんな構図。
それだけは避けたい、と強烈に思います。
この構図には、他責、という言葉しか出てこないから。
人に期待をかけるのは自分が勝手にやったこと。
それに対し想定外の結果となったならば、
①自分が期待をかけて描いた未来を諦めるか
②自分が相手をその未来に連れていくか
(相手が、力不足に悩みつつも、進む気概があるパターン)
③相手の力は借りず、自分がその未来を作っていくか
どれかのパターンしかないと思います。
どのパターンを選んでも、相手を責める、という事象にはならないはず…本来は。
でもこの様に明確にはいかないんですよね。人には感情があるので。
落胆や憤りの感情は必ず噴出します。
だからあえて自分の場合は、期待、という最初の間口を狭くしている…。
相手も苦しくしたくないし、自分も苦しくなりたくないから…。そんな気もします。
…とはいえ、自分も誰かに期待をしてもらえることは
やはり、とても嬉しいんですけどね。
頑張ろう、という大きなモチベーションにもつながりますし。
あともう一つ思ったこと。
それこそ、自分もそう偉そうに言えることではないのですが。
人に期待を掛けて落胆する暇があるなら、自分がやればいいんです。
自分がすることが、唯一、結果に責任も持てる。
最近、プライベートでも仕事でも
自分自身が少し、周囲に対し過度な期待を持ち始めている気がしたので
気持ちの整理のために書いてみました。
この考え方、賛否両論はあると思います。
そういえば
その件の彼ですが、”周囲に期待しない”と言ったときに
”コントロールできるのは自分だけ”とも言っていました。
潔いな、と当時感じたことも思い出しました。
他責である限り、何も動かない。
この世の中でコントロールできるのは、本当に唯一、自分しかないですから。
社畜ミュージアム、というおもしろ動画
こういうの好きです。
http://nlab.itmedia.co.jp/nl/spv/1801/24/news106_0.html
クオリティ高いなぁ…と思ってたら、面白法人カヤックさん制作でした。さすがー。
面白法人カヤック
これを見てちょっと思った点。
・確かにこんな働き方はあるある…な光景だけど、世の中には沢山こんな人がいるわけで。(それが良いわけでは全くありません…)
→“能動的/主体的に仕事に取り組めているかどうか
→組織からのプレッシャーが強いか否か
あたり…?
・これは中小企業基盤整備機構が委託して制作されたコンテンツだそう。とても面白いけど、結構お金かかってるのかな、これ…。
まぁイメージ覆すには良いかもね。カヤックさんを発注先として検討に入れた担当者が頑張った!と思います。
ともかくも、やっぱりカヤックすごいな!と思いました。あとはこの企画が通った時の企画書が見てみたいな…。
情報発信スキルと情報”収集”の関係性について
個々人が情報発信できるスキルを強く求められ世の中ですが、情報発信できるかは、
もはや当人が情報を”収集”するチャンスを得られるかの選別理由にもなるのだな…と最近感じています。
例えばわかりやすい例としてこのイベント。
http://lexus.jp/brand/intersect/tokyo/garage/lexus-beams-takumi.html
高級車ブランドの代名詞、レクサスが主催するイベントです。
レクサスのラグジュアリースペースにて開催される、有名放送作家 小山薫堂さん×アパレルブランド ビームス バイヤーの方のトークイベント。
なかなか面白そうです。
しかしこの抽選制のイベント、申し込み段階で、申し込み者のSNSアカウント記載が求められます。その人に発信力があるかで、イベントに呼ぶ価値があるかを選別しているわけです。
この傾向、最近の抽選制のイベントに顕著に見える姿勢だなと感じます。
従来は、申し込み者の年齢、趣味、所属する企業名(おそらく年収などを推測)などの記載が、申し込み時に求められることが多かったと記憶しています。
要は当人がマーケティングの対象であり、当人の属性から、その人が呼ぶ対象になり得るかを選別していたかと。
しかし最近は当人の属性を記載する欄はごく僅か。それよりも、その人が誰に対してどれほどの発信力があるかを重視する傾向。
その方がマーケットの可能性は広がりますしね。
気軽に情報を得られない時代になってきたなぁ…と感じます。
情報はただでは得られない、という事実は従来より変わりません。
しかし、今までは情報検索に時間をかけたり、現場に出向いて足で稼いだり…と行動量を増やせば情報が得られていたことに加え、
新たな行動軸として、
個人個人の発信力を高めてセルフブランディングし、発信するスキルを磨いていかないとより良い情報が自分に集まってこない時代になってきたのかもしれない…。
なかなか厳しいものです…。
いずれにせよ、発信力は磨いておいて損はない、ということですね。
時間泥棒の話(愚痴含む)
最近強く思うこと。
対策を練らねばならない、と考えています。
無意識のうちに、
時間泥棒をする存在の人たちに対して。
全く生産的でない話を長々と続け、
愚痴を言うことで憂さを晴らし、
始末の悪いことに当の本人たちは建設的な話をしていると思い込んでいる人たち。
そんなことをしても解決策は一つも出てこないのに。
そしてその人たちに付き合うと、時間はおろか精神面も消耗する。いいことなんて一つも無いです。
いままではなんとかそんなしょうもない話から、
彼らが前向きに着地してくれるよう改善提案の仕方をお伝えしてみたり、
誘導してみたり、
愚痴だけでは何も変わらないということに気づいてもらおうと色々図ってみたりしました。
でももうやめます。
お人好しだったなと思います。
自分にはそんなことに世話を焼いてる時間はないのだから。時間を買いたいくらい、やりたいことが沢山積み上がってる今の状況では、そんな無駄なことしてる暇はない。
あとは自分たちでなんとかしてくださいね。もう知らん、って感じです。
最近、無理やり時間を奪われたことが続いたので、勢いづいて書きました。ちょっとだけスッキリ。
さて、では具体的にどう動いていこうか。彼らをシャットアウトする方法をこれから色々試して検証してみます。検証は好きです。
どうか彼らが近いうちに、その不毛さに気づいてくれますように。
あとは自分も誰かの時間泥棒とならないように、それだけは気をつけよう…。
〜すべき、という言葉に揺らいだことと、最終的にリカバリーできた話と。
○○なら〜すべき、という言葉は巷に溢れてます。
大抵その言葉は、
自分自身を縛って気持ちを誤魔化して、易きに流れる言い訳に
そして、
誰かの人生からその人自身の人生のコントロール権を奪うために
使われている…と、かなり穿った見方ですが感じています。
自分もこれまで、だいぶ、〜すべき、という言葉に縛り縛られてきました。
いい大人なら〜すべき、
真面目な社会人なら〜すべき、
母親なら〜すべき、
女性なら〜すべき、
〜べき、〜べき、の連続。
一度根付いた意識はそう簡単には変えられず、
今もまだまだ、縛られる、〜べき、という考え方はきっと沢山あります。
(ちなみにワーママは特に、〜べき、に縛られている人が多いと思います。
仕事が結構できていた自分、と(時間制約などにより)思うようにコトが運ばなくなったカッコ悪い自分、のギャップに悩む人たち。
そして余計、自分で”〜べき"の項目を増やしてしまう。出産前の本来の自分に戻る”べき”、とか。
そこから脱却するためには、今の等身大の自分に向き合って非力さ至らなさを認めつつ、自分なりの希望も見つけて、自己卑下の段階だったところから再スタートを切る作業が必要。結構苦しいものですが)
自分は、
好きなことに向かってがむしゃらに動く、迷わない、と決めてからは外野の声も気にならなくなり、最近は、大分この考え方も緩和されたと思ったのですが…。
最近子供のちょっとした怪我がきっかけで、“母親なら本来は〜すべきでは…”という、かつて縛られていた一つの”べき論”を思い出し、少し葛藤が生まれました。
あと、子供の怪我を知った時、(通う保育園を休む可能性があった為)今後の仕事の回し方のことで少しでも頭が一杯になった自分って、母親としてどうなのか…とか。
でもそんなタイミングで見つけた記事。
伝統工芸に関わるある方の仕事紹介記事です。
そうだ、自分はこの方の仕事を知って、自分もこのビジョンを持って仕事がしたい。伝統工芸の道に進もう、と決意したんだっけな、と。
https://www.sangetsu.co.jp/design/archive/0011_01.html
その時よりは色々自分も少し経験を積み、もっと色々、伝統工芸に関するビジネスの選択肢の多さも課題も希望も困難さも、分かるようになりました。
でも、やっぱり始めてそれらに触れた時の嬉しさはまだ、ちゃんと色褪せてない。良かった。
この記事を読んで確認できました。そして気持ちが上がりました。
ちょっと凹んでたこのタイミングで偶然記事を
見つけたのは、偶然ではないな、必然だな!と勝手に思ってます。
ご本人はこんなことを書かれているとはおもってもいらっしゃらないでしょうけど 笑
ちなみにもう二つ思い出したこと。
好きなことに向かって…と決意したときに、そう言えば、もう二つ決めてました。
子供たちには、多くのことを語ったり偉そうに説教をするのではなく、自分の働いている姿を見せようとすること。
そして、仕事ができない言い訳に子供たちのことをできる限り持ち込まない、ということも。
それは、仕事に対してもダシにされる子供たちにとっても失礼なので。
この二つの心がけでいること、できる限りそれを見せ続けることは、子供たちにとってもプラスになるはず。愚痴を言い続ける自己卑下の塊の母親でいるよりは。
なんだか気持ちが揺らいだり、以前よりモチベーションが上がったりした日ですが、結論、やっぱり頑張ろう(でも今日くらいは、子供たちといつもよりゆっくり話そうと少し反省も)…と思い終わる一日となりました。
中屋万年筆という芸術品を見つけた話について。
本日、紛失した万年筆に名残惜しい気持ちは持ちつつ、2代目を購入しに行き伊東屋まで行ってきました。
自分は細字が好きなので、必然的に国内の万年筆のみが選択肢になります。(海外のものは中字が大半)前回はパイロット、今回はセーラーを購入しました。
今回、購入したものは以前愛用していたものに比べ書き味がとてもよく感じられて(メーカー差というよりペン一つ一つの個体差かもしれませんが)満足をしてます。
が、購入後、ショーケースに飾られていたある万年筆に、目が釘付けになりました。
中屋万年筆
自分の写真の腕の拙さで、実物のそれらの美しさが半減している気がしてとても悲しい…。
フォルム、光沢、色具合、どれをとっても美しく隙が無い、芸術品のような万年筆でした。
中屋万年筆、は1999年設立の、万年筆業界からしたら新参の会社な様ですが、
プラチナ万年筆に勤めていた元社員が集まり、設立された会社で品質はお墨付きな様です。
中屋万年筆のボディ?はまるで漆塗りのような光沢で、かつ、あまり見かけない深みのある色合い、とにかく全体のビジュアルがバランスが取れつつも”ならでは”の個性が発揮されていて、とても美しく…。
この万年筆もとてもよかった…。そしてすごく欲しかった…ですが、約10万円という価格帯はいかんせん今の私にはすぐに手が出るものではなく。
今回購入した万年筆を日々のお供に、ボーナスが入った時とか貯金がたまったとか、
どこかのタイミングで、自分のご褒美に買いたいな、と思いました。
落し物トラッカー(GPSつき)を購入してみた話
突然ですが、文明の力に頼ることにしました。
何かというと、忘れ物対策…。
ここ最近、イヤホンから始まり、愛用の万年筆(これはダメージが大きかった)、自宅の鍵(これは物理的に困った)、etc…と立て続けにモノを無くしました。
そしてよくよく振り返ると、自分は周期的に「ものを無くす期間」という時期がなぜかあるということに気づき…。(前回の「期間」では、時計を無くしました。前々回では確か…小銭入れ…?)
もうこれは文明の力に頼らないと、もっとヤバイことになる気がする、と思い、
早速購入してみました。一部界隈で話題の製品を。
これです。
米国シェアNo.1※落とし物トラッカー「Tile」
こういったタイプ、幾つかすでに販売がされていますが、
製品自体がかさばりり、金額がこなれていなかったりと色々課題もある中で、
上記Tileはなかなか好評の様です。
幾つか購入しました。財布と、鍵と、定期と…諸々につけて検証します。
さて、無事役割をはたしてくれるでしょうか。期待大。
ひとつだけ、本製品について気になったこと。
(上記HPより抜粋)
>Tile Inc. は、多くのユーザーから支持される便利な機能と、累計1,000万個以上を販売し、米国をはじめ全世界230の国と地域に広がる巨大なメッシュネットワーク「TILEコミュニティー」を日本でも展開し、日本市場における、あらゆるものを「なくす」不安を解消したいと考えています。
>全世界で1,000万個以上販売されているTILEの特長である、自分のTILEを全世界のユーザーが探してくれる「TILEコミュニティー」を使えば、自分のTILEと近くを通った他のユーザーのTILEアプリが自動で接続することで、自分のTILEの位置情報がクラウド上に送信されます。本機能によって、海外旅行先や出張先などの遠方で落とし物をしてしまった場合も世界中のユーザーの協力によって見つけることができます
これ、位置情報使って悪用される可能性はないだろうか…。あと、プライバシーの問題とか…。そのあたりもしっかり考えられての販売でしょうか…。
ともかくも、検証はしてみます。
ですが。
こういったもので対策を図る前に。
・沢山の物を持ち歩きすぎない習慣付をする
・「ものを無くす期間」が発生してしまう要因と、それを引き起こすキーは何なのかを考えて、根本解決を図る
…の方が本当は先に手をつけるべきことなのだと思います…。頭では分かってはいるのですが…。