息子たちに伝えるハハオヤの雑記

30代の自分の日々を淡々と。20年後、30代になるムスコ達に向けて。

20180709 地方紙の果たす役割


【振り返りと今後の方針】
1.あともう一歩、という踏み出し
2.1週間前から変わったこと、動いたことの洗い出し

(自分のスピード感と方向性の確認)
3.休養…というか睡眠は最低時間はとること。クオリティに影響してくるので。

 

【本題】
突然ですが、メジャーな「新聞」と言われて、何を思い出すでしょうか。
今やネットニュースが主流な為、新聞自体の発行部数も相当削減されている様子ですが、例えば読売、朝日、産経、日経など…

どこかの本で昔、読んだのですが、
実は上記のような有名どころの新聞の流通量は日本国内では意外と限られており、
一方、各地の地方紙の流通量は相当なものだとか。


なぜなら、地元の人々は、自分にとって遠い世界である国勢、海外情勢よりも地元でおこるニュース、イベントの方が知りたいからです。確かに。

 

ここで一つ、7年ほど前の論説ですが地方紙の存在意義について語った記事を紹介します。

アメリカで地方紙が激減しているという事実が各地にもたらしている事態について。

哲学研究者 内田樹氏のブログより
http://blog.tatsuru.com/2011/10/29_0940.php


要は、監査的立ち位置の地方紙、情報媒体が無くなり、特定団体への利潤の集中が止まらなくなったということ。なるほど、面白い、と思いました。
新聞、メディアの社会的意義…。ジャーナリズムといった方向から。

 

一方、ビジネスとして地方紙が立ち行かないのも事実で、
NPO的立ち位置で地方紙を継続していく必要があるのでは、と著者は語っています。


この記事からすでに7年。
最近はどうなったか…と情報検索をしてみましたが、アメリカ 地方紙の廃刊の勢いは止まらない様です。変わらず、監査の眼の欠如について、嘆く声が色々なネットニュースに上がっていました。


さてところで。
日本では同じようなことが起きているのでしょうか。恐らくそうなのでしょう。

しかし、アメリカ程騒がれていない様な気も、個人的にはします。
ジャーナリズムへの捉え方について、アメリカの方が感度が高いのだろうな、とも。

 

ここで何らかの纏めや意見を述べるつもりはないのですが、ある地域の地方紙を色々と調べている中で、ふと、地方紙の意義についてブログを読んだので、紹介してみたくなりました。知名度、規模、流通量、流通範囲、それぞれ差はあれど、報道の果たす役割は同じなんだな、と。