息子たちに伝えるハハオヤの日々雑記

将来、息子たちが今の自分と同じ30代になった時に知ってもらいたい、自分の日々雑記を淡々と。名言などではなく、今、保育園児の子供たちが自分と同じ30代社会人になった時、「当時母はこんなこと考えてたのか」と知ってもらえれば。

〜すべき、という言葉に揺らいだことと、最終的にリカバリーできた話と。

○○なら〜すべき、という言葉は巷に溢れてます。

 

大抵その言葉は、

自分自身を縛って気持ちを誤魔化して、易きに流れる言い訳に

そして、

誰かの人生からその人自身の人生のコントロール権を奪うために

使われている…と、かなり穿った見方ですが感じています。

 

自分もこれまで、だいぶ、〜すべき、という言葉に縛り縛られてきました。

 

いい大人なら〜すべき、

真面目な社会人なら〜すべき、

母親なら〜すべき、

女性なら〜すべき、

 

〜べき、〜べき、の連続。 

一度根付いた意識はそう簡単には変えられず、
今もまだまだ、縛られる、〜べき、という考え方はきっと沢山あります。


(ちなみにワーママは特に、〜べき、に縛られている人が多いと思います。

仕事が結構できていた自分、と(時間制約などにより)思うようにコトが運ばなくなったカッコ悪い自分、のギャップに悩む人たち。

そして余計、自分で”〜べき"の項目を増やしてしまう。出産前の本来の自分に戻る”べき”、とか。

そこから脱却するためには、今の等身大の自分に向き合って非力さ至らなさを認めつつ、自分なりの希望も見つけて、自己卑下の段階だったところから再スタートを切る作業が必要。結構苦しいものですが)

 

自分は、

好きなことに向かってがむしゃらに動く、迷わない、と決めてからは外野の声も気にならなくなり、最近は、大分この考え方も緩和されたと思ったのですが…。

最近子供のちょっとした怪我がきっかけで、“母親なら本来は〜すべきでは…”という、かつて縛られていた一つの”べき論”を思い出し、少し葛藤が生まれました。

あと、子供の怪我を知った時、(通う保育園を休む可能性があった為)今後の仕事の回し方のことで少しでも頭が一杯になった自分って、母親としてどうなのか…とか。

 

でもそんなタイミングで見つけた記事。

伝統工芸に関わるある方の仕事紹介記事です。

 

そうだ、自分はこの方の仕事を知って、自分もこのビジョンを持って仕事がしたい。伝統工芸の道に進もう、と決意したんだっけな、と。

https://www.sangetsu.co.jp/design/archive/0011_01.html

 

その時よりは色々自分も少し経験を積み、もっと色々、伝統工芸に関するビジネスの選択肢の多さも課題も希望も困難さも、分かるようになりました。

でも、やっぱり始めてそれらに触れた時の嬉しさはまだ、ちゃんと色褪せてない。良かった。

 

この記事を読んで確認できました。そして気持ちが上がりました。

ちょっと凹んでたこのタイミングで偶然記事を

見つけたのは、偶然ではないな、必然だな!と勝手に思ってます。

ご本人はこんなことを書かれているとはおもってもいらっしゃらないでしょうけど 笑

 

ちなみにもう二つ思い出したこと。

好きなことに向かって…と決意したときに、そう言えば、もう二つ決めてました。

子供たちには、多くのことを語ったり偉そうに説教をするのではなく、自分の働いている姿を見せようとすること。

そして、仕事ができない言い訳に子供たちのことをできる限り持ち込まない、ということも。

それは、仕事に対してもダシにされる子供たちにとっても失礼なので。

この二つの心がけでいること、できる限りそれを見せ続けることは、子供たちにとってもプラスになるはず。愚痴を言い続ける自己卑下の塊の母親でいるよりは。

 

なんだか気持ちが揺らいだり、以前よりモチベーションが上がったりした日ですが、結論、やっぱり頑張ろう(でも今日くらいは、子供たちといつもよりゆっくり話そうと少し反省も)…と思い終わる一日となりました。