正確無比な現状把握、の難しさについて
ある一つの問題があったとして。
その問題に対して正しく課題を明確化し、一番有効な打ち手を出すのが課題解決の基本かと思っていますが。
そもそも課題認識の為に、”現状を正確に把握すること”は本当に難しいものだな…と
最近感じます。特に、他人と認識を共有することについては。
こんなことを考えたきっかけは、
最近、あまりにも自身の両親が(双方攻撃的な口調が多くなり)小さなことで喧嘩を繰り返す様になってきた様子を見、毎回、両親の間を仲裁に入っている中で、
「もしやこれが認知症とやらの前兆…?」と少し考えてしまったことがあります。
(認知症になりやすい人は怒りっぽいらしいので…)
もし、本当に前兆となりうる事象であるならば、両親双方ともに、
①現状把握、事実認識:認知症の前兆であるかもしれないと認識してもらい、
②課題の明確化:認知症になりやすい習慣を現状しているのであれば洗い出す
③打ち手を検討、実施:認知症予防に向けた各種対策を実施する
という流れになると思います。が、恐らく、①の認識共有が一番ハードルが高い…。
内容が内容ですし。
そんなことをつらつらと考えているうちに、これって、仕事でも一緒だなと思いました。
①現状把握を間違うと、②③も時間をかけた意味が全くなくなってしまう。
では①をいかに正確に行うか。足で稼ぐのもアリですし、データ分析でも良いですし。
でも正確に行った”つもり”であっても、事実をどうとらえるかは必ず個々人の価値観といフィルターが入ってしまうような…となると、結局、正確無比な現状把握、事実認識は無理なのでしょうか。
事実認識をいかに正確に行うかは、それこそAIの出番とかなのですかね。
こんないい加減なことを書くとその道の研究者に怒られてしまいそうですが。
自身の中では全く結論も出ておらず、この話自体、纏まっていないのですが。
両親の喧嘩の仲裁を電話口でしながら、そんなことを考えました。