息子たちに伝えるハハオヤの雑記

30代の自分の日々を淡々と。20年後、30代になるムスコ達に向けて。

20180520 今の時代に”最適な”丁稚奉公という制度

【振り返りと明日以降念頭におくこと】
・真剣に人生に取り組んでいる人に対してはこちらも真剣に向き合うこと
・「~しなければならない」道はない。目指す高みにより道の険しさが違うだけ
・気概では物事は進まない。必要なのは虫の眼、魚の眼→一気に鳥の眼まで視野を広げる冷静さ

 

【本題】
昨日は、木工家具の匠を2年かけて育成するための専門学校を見学。
本日は伝統工芸士の仏師の方に仏像堀りを習いました。

 

双方に共通している考えは「良い匠を育てるためには、技術だけでなく人間性
育てる必要がある」ということ。
そこに甘えはありません。
確かに、高みを目指すには「丁稚奉公」のような機会は必要なんだろうなと、納得も。

 

一方、個人的にずっとひっかかりを感じていたこと。
匠を目指すためには丁稚奉公という手段はとても有用だということは
理解できる一方、
今の若者達で心身ともについていける人はいるのだろうか…
そしてもはや、丁稚奉公という方法は一昔前の教育方法として、
受け入れづらいものになってはいないだろうか…というところ。

 

けれどもまさに今、研鑽中の若者に「なぜこの道を選んだのか?」と聞いた時の
彼の返答がすっと腑に落ちました。

「色々な工房を見て回ったけれど、どこも生活することに必死で
そのために技術を磨く機会が削られていると感じた。
言い方は悪いけれど、生活の心配をせずに技術を徹底的に学べる場として
ここは最適だった」。

あぁきちんと今風の、合理的な判断でこの道を選んだんだなと。
気概だとか根性だとか、そういった気持ちの部分だけに引っ張られず
冷静に、自分の道を選んだということについて納得がいきました。

そしてそういった人たちが丁稚奉公という手段を選んでいるのであれば
まだまだ、この人材育成の手段は有用なものであるのだろうな、とも。


最後におまけとして書くと。
とはいえ、学ぶ側も教える側も真剣勝負の数年間。
こんなにも人生に真剣に向き合っている職人方と関わることが
できる私達ミドルウェア層(工芸業界のマーケットを広げる
役割をする人たち、という意味)も、
自分の役割を全うするために、より高みを目指していかなければ
彼らに対して失礼だな、と。
そしてその丁稚奉公期間は、自分の場合は誰がやってくれる訳でなく、
自分で自分を高見につれていく環境を設定しよう、と。

 

ということで。
今、自分がやるべきことに
より自分の時間体力を集中していくために、
また本日、幾つかの事項を手放しました。