息子たちに伝えるハハオヤの日々雑記

将来、息子たちが今の自分と同じ30代になった時に知ってもらいたい、自分の日々雑記を淡々と。名言などではなく、今、保育園児の子供たちが自分と同じ30代社会人になった時、「当時母はこんなこと考えてたのか」と知ってもらえれば。

周囲への期待、について思うこと。

最近、周囲へ期待すること、について思うところがあったのでその件について書きます。


数年来の付き合いの友人の一人に
人からどんな迷惑をこうむってもどんな理不尽な言いがかりをつけられても激高せず、
淡々とスマートに、発生する問題に対処する人がいました。

 

あまりにも冷静でスマートで居続けるので
「なぜそこまで冷静でいられるの?」と聞いてみたことがあります。

彼から返ってきた答えは自分にとってはかなり意外で
「周囲に期待をしないから。」
(もっと聖人君主っぽい返答が返ってくると思っていました)

 

周囲に期待をしないから、がっかりしたり不満に思ったりすることがない。
だから、感情に余計な波が立たず、冷静でいられる、とのこと。

それを聞いた当初は”冷たいな…(というか寂しいな…)”
”彼は周囲と繋がることを遮断しているんだろうか…”と
ほんの少し、苦しく感じた覚えがあります。
懐広く見えていた彼の印象が変わりました。
(彼とは信頼できる付き合いが今もきちんと続いてます)

 

ですが、それから数年たって
当時、彼が言ったことは一理あるなと思っています。
そして自分も、当時の彼と似ているスタンスを取っています。

 

自分の場合は、「周囲に”過剰に”期待をしない」こと。

人に期待をかけることは、素敵なことだとも思います。
その人のポテンシャルや人間性を見込んで、
”あなたならできる”と信じることなので。

 

でも一方、勝手に、過剰に期待をかけてしまったり、
その人にとって不適切な期待だったりすると…。
自分の期待と違った結果を出した彼/彼女に対して、
落胆する→責める、(時に)期待していた分だけの見返りを求める…
といった構図をまま目にします。
落胆した時にそこで、”自分が相手にかけていた期待は、方向性が違っていたかもしれない。”と
自分を振り返れる人はごく僅か。
大抵は残念ながら、”勝手な期待”に答えられなかった人への他責になるような気が…。


勝手に期待をかけ、勝手に落胆し、相手を責める・見返りを求める…こんな構図。
それだけは避けたい、と強烈に思います。
この構図には、他責、という言葉しか出てこないから。

 

人に期待をかけるのは自分が勝手にやったこと。
それに対し想定外の結果となったならば、
①自分が期待をかけて描いた未来を諦めるか
②自分が相手をその未来に連れていくか
(相手が、力不足に悩みつつも、進む気概があるパターン)
③相手の力は借りず、自分がその未来を作っていくか

どれかのパターンしかないと思います。
どのパターンを選んでも、相手を責める、という事象にはならないはず…本来は。

 

でもこの様に明確にはいかないんですよね。人には感情があるので。
落胆や憤りの感情は必ず噴出します。

だからあえて自分の場合は、期待、という最初の間口を狭くしている…。
相手も苦しくしたくないし、自分も苦しくなりたくないから…。そんな気もします。


…とはいえ、自分も誰かに期待をしてもらえることは
やはり、とても嬉しいんですけどね。
頑張ろう、という大きなモチベーションにもつながりますし。


あともう一つ思ったこと。
それこそ、自分もそう偉そうに言えることではないのですが。
人に期待を掛けて落胆する暇があるなら、自分がやればいいんです。
自分がすることが、唯一、結果に責任も持てる。


最近、プライベートでも仕事でも
自分自身が少し、周囲に対し過度な期待を持ち始めている気がしたので
気持ちの整理のために書いてみました。
この考え方、賛否両論はあると思います。

 

そういえば
その件の彼ですが、”周囲に期待しない”と言ったときに
”コントロールできるのは自分だけ”とも言っていました。
潔いな、と当時感じたことも思い出しました。

 

他責である限り、何も動かない。
この世の中でコントロールできるのは、本当に唯一、自分しかないですから。