無意識のうちにやりたいことを諦めていく怖さについて。
最近新聞記事で、ある社長の若かりし頃の苦労話を読みました。
内容は、その社長が中東のある国の化学工場に勤め続けていた課長時代―今から数十年前程ーの話でした。
化学工場の周囲は砂漠、逃げ場は一切無し。
現地スタッフとのコミュニケーションの苦労は言葉のみならず慣習やら
宗教の違いやらで多く、工場現場での事務所での盗難はしょっちゅう。
気を許す仲間も最初はいなく、頼れるのは自分ひとり。
並々ならぬ苦労はしたものの、この経験を通して、
仕事の醍醐味を知ったーというものでした。
これを読んで、ふっと、「そういえば自分は、こんな仕事をする、と本気で思っていた時期があったんだっけ…」と思い出しました。
実際、10年程前の就活の時期は化学メーカーやプラント業、インフラ業の就職試験ばかり受けていました。やはり男性が多い業界なため、女性の自分は面接会場で完全に浮いていたこと…なども思いだしたり。
そんなことを考えているうち、この夢をいつの間にか諦めていたこと、そして諦めたこと自体に無自覚だったこと…に少し動揺を覚えました。
当時はあんなに本気だったのに。当時バブルだったドバイ駐在を目指してアラビア語も学ぼうとしていたのに。
自分の想いに向き合っていないうち、きっと沢山の言い訳を無意識に用意して次第に諦めていっていったのでしょう。
そしてそんな夢がきっと他にも沢山あって、心の中に、澱の様に溜まっている気がする…。
人生は一回きりだし、選択肢は大抵はどれか1つを選ぶものだし、全ての夢に執着する必要はないと思います。
ただ、無意識のうちに言い訳をして、やりたいことを諦める姿勢が基本スタンスになってしまうのはとても嫌だなと。
きちんと一つ一つの夢に対して向き合って、納得して手放すなり、叶えるために努力するなりしていきたい。もちろんグレーにしておく時期も必要ではあるのだけれども。
翻って、今。
過去、無意識のうちに諦めた夢なども含め今迄の経験全てが実になって、今の自分があると思っているので、過去については全く悔やむ気もないしむしろ今が一番ベストであると自信をもってます。
ただ、「やりたい!」と今、考えている沢山の夢たちに対しては、自分に残された時間やこれまでの経験値を踏まえると、きっと取捨選択が必要な場面が来るだろうとも思ってます。前向きに言うと、自分のパワーを投下するために、やることを絞り込んでいく場面がそのうち来る。
その時はきちんと、それらと向き合って、パッと潔く手放せるように。無意識のうち言い訳して諦めていくんではなく。
そんなスタンスでいこう、と、そしてそう思ったことを忘れないようにしよう…と、この記事を読んで思いました。